丸亀城 (香川県)

 石垣のみの高さでは、日本一を誇る城郭です。天守閣も派手ではありませんが(現存天守閣では最も小さいとか)、残されていて重要文化財です。
 天守付近からは、讃岐平野を経て瀬戸内海まで見渡せます。この藩には、瀬戸内海交通の監視の役割85060026.JPG85060022.JPGもあったのでしょう。

芝生城 (徳島県)

 吉野川中流域、今では、その名も「三好市」となった地に、三好氏の本拠地である芝生城がありました。城といっても居館程度のものだったのでしょうが、信長以前の天下人・三好長慶もここで生まれたと言われます。吉野川の河岸段丘に位置し、要害の地では無いですが、吉野川に注ぐ川に面し、交通の要衝であったと思われます。いや、阿波一国が金城湯池に例えられていますから、国堅固であり、城は、居館規模でよかったのでしょう。三好氏の力の源泉は交易、とくに阿波の藍・木材であったと考えられますので、むしろ格好の本拠地であったのかもしれません。
 細川氏に従って畿内各地で暴れまわった三好氏でしたが、それ故に危険視もされ、長慶の父は謀殺されてしまいます。かろうじて、阿波・芝生に逃げ戻った長慶は、元服の後に再び畿内に打って出ます。
 天下人となった長慶でしたが、若くして恍惚となり(アルツハイマーか?)、芝生に戻ることはありませんでした。芝生も三好氏の衰退とともに風化し、いまでは、看板が立つのみです。あたりは麦畑になっていて、麦の穂が風に揺れていました。芝生城;麦畑.jpg芝生城;説明板.jpg
 

岡豊城 (高知県)

岡豊城;石碑.jpg岡豊城;本丸.jpg 長宗我部氏の本拠は、南国市一帯で、その居城は、岡豊(おこう)にありました。この地は、土佐の旧国府があった地で、南国平野という呼び方もあるほどの豊穣の地です。さすがに、土佐を統一するだけの基盤があったのだと感心します。長宗我部元親も、この岡豊を拠点にして、勢力を拡大しました。
 かつては案内板も何も無く、この城祉を訪れることができなかったという経験もありますが、今では城の領域に立派な歴史民俗資料館ができて、簡単にたどりつくことができます。歴史民俗資料館の裏山が城址で、その本丸からは南国平野を見渡すことができました。

長浜城 (滋賀県)

長浜城(1)).JPG 木下藤吉郎改め羽柴秀吉が、初めて一国一城の主になったのは、この長浜城でした。ここは、もと今浜という地名でしたが、秀吉が長浜と改めています。主君の信長に「上様の一字をば頂戴いたしまして、長浜と改めとうございます」とか調子よく言上したのでしょう。
 この長浜城は、湖に突き出した湖城で、水上交通を主題に置いた築城であったと考えられます。秀吉のとった商業上の特典は、江戸時代になっても引き継がれ、彦根藩の領域にあっても北近江の要衝となりました。
 明治後、鉄道交通の分岐点を他に譲ってしまったため、一時沈滞しましたが、また「黒壁」などの町おこしに成功しています。

久留米城 (福岡県)

久留米城(2).JPG久留米城(1).JPG 江戸時代は有馬氏の居城でした。天守閣は建造されませんでしたが、今も結構高い石垣が残ります。敷地内にブリヂストンの工場があります。

小倉城 (福岡県)

小倉城(1).JPG 築城当時は最新モードの天守閣だったのでしょうが、どうも頭でっかちに見えます。九州の蓋をすると同時に、対岸に長州藩を睨む譜代・小笠原氏の城でした。
 近世城郭にしては珍しく、落城を経験しています。落としたのは、長州藩の高杉晋作や山縣有朋らでした。

明石城 (兵庫県)

明石城と明石海峡大橋.JPG明石城2櫓.JPG 播磨国には、城郭が3つ4つもあります。姫路城、明石城、赤穂城、龍野城などです。さすが大国だとは思いますが、明石海峡を睨むように建つのが、この明石城です。天守閣は建造されませんでしたが、海峡から見ると、まさに2つの櫓が屹立して明石海峡を通過する船舶を威圧しています。向かって左が坤櫓、右が巽櫓です。
 明石城は小笠原氏が建造しましたが、その後は譜代大名が入れ替わるように入り、なかなか一定していません。最終的には松平氏でした。阪神淡路大震災の折にも被害を受けています。
 今では、明石海峡大橋が周囲を威圧するような力感を持って明石海峡を繋いでいます。

萩城 (山口県)

萩城1.JPG萩城0.5.JPG 毛利藩の主城である萩城です。中国の雄であった毛利家は、関ヶ原の責めを負わされ、防長2州(ほぼ今の山口県)に押し込められます。毛利藩としては、本当は山口か岩国に居城を造りたかったのですが、幕府に萩を指定されました。
 背後の山は指月山で、その向こうは日本海になってゆきます。毛利藩は、幕末ぎりぎりになって政庁を山口に移し、それ故に県庁所在地も山口になりました。

佐賀城 (佐賀県)

佐賀城(2).JPG佐賀城(1).JPG 佐賀城にはネコがおんねん(怨念)。
 佐賀藩は、薩長土肥といわれた維新の立役者のひとつです。35万石の雄藩ですが、その割には地味な城郭です。現在では、ほとんど建造物は残っていません。
 佐賀藩は鍋島家です。その始祖・鍋島直茂は、竜造寺家の姻戚とはいえ、結果的には竜造寺家に取って代わって立藩したことになりました。そのへんの事情が佐賀藩(鍋島藩)をややこしくしているといえるでしょう。本来なら、佐賀駅前に銅像が立っていてもいいはずの鍋島直茂ですが、大隈重信の銅像が立っていたりします。
 ただ、鍋島家には名君がよく出たとはいえるでしょう。

岡崎城 (愛知県)

岡崎城2.JPG岡崎城1.JPG 愛知県(三河国)にある巨城です。今でこそ、目立ちませんが、実は大規模な城郭であったようです。徳川家康の出生地で、江戸時代も重要視されて譜代大名の居城でありました。川による水運が発達していたそうです。
 桜の名所でもあり、僕が行った時もちょうど桜が咲いており、桜祭りか何かの催し物をやっていたのを思い出します。

大阪城 (大阪府)

大阪城b.JPG大阪城a.JPG ここは、もともと上町台地の先端で、海に突き出したような地形でした。巨大古墳があったのでは…とも言われています。
 戦国時代、石山本願寺が巨大寺院を造成し、城郭と変わらぬ要塞となっていました。信長と10年以上も抗争を繰り返します。信長の天下統一は本願寺によって妨げられたといってもよいでしょう。
 ようやく本願寺が退去して後、秀吉が巨城を築きました。その際、土地の名を「大坂」と定めています。
 大坂の陣で、豊臣氏が滅亡し大坂城が焼亡した後、徳川氏は、秀吉の大坂城を埋めてしまい、徳川・大坂城を築きます。大坂城代を置き、西日本に睨みをきかせました。
 明治初年、大坂が大阪に改められ、市民の寄付によって天守閣が再興されました。今では桜の名所となり、春には大勢の人が訪れます。

宇土城 (熊本県)

宇土城2.JPG宇土城1.JPG 小西行長の居城であった宇土城址です。いまでは、石垣が草に埋もれるのみとなっています。
 加藤清正の熊本城と、小西行長の宇土城は、ほとんど相対するように建っていました。これでは上手くいくものもいかないだろうと思います。

魚津城 (富山県)

魚津城址(看板).JPG魚津城址(大町小学校内).JPG 織田信長が本能寺に宿泊し、明智光秀の謀反によって果てた折、柴田勝家を主将とする北国方面軍が、この魚津城を攻めていました。そして日付的には、本能寺の変の翌日に攻め落としています。
 ここが落ちれば、もう上杉家の本拠・越後まではあとわずか。しかし、北国方面軍は、佐々成政を残して反転せざるを得なくなりました。
 もし、柴田勝家が畿内に反転して明智光秀を打ち破っていたら、北国方面軍にとっての「備中高松城」になったかもしれず、全国区の有名な城となっていたかもしれません。

富山城 (富山県)

富山城(石垣と濠).JPG富山城(再興天守閣).JPG 富山藩は金沢前田102万石の分家で、10万石を領しました(大聖寺藩とともに)。富山はその居城で、写真は再興天守閣です。実際には天守閣は造られませんでした。しかし、結構な規模を持つ大きな城郭であったようです。
 富山藩は、薬売りで有名です。藩の財政を潤すために、積極的に薬売りを奨励し、厚生省ともいうべき部局もありました。全国に分布した富山薬売りは、あるいは一種の隠密行動も行ったかもしれません。

唐津城(佐賀県)

唐津城(2)唐津城(1) 虹の松原の近傍に建つ唐津城です。海城とも言われ、海に石垣が築かれています。天守閣があったかどうかは疑問とされていますが、写真のような模擬天守閣ができています。

坂本城 (滋賀県)

坂本城2坂本城1 明智光秀が築いた坂本城です。琵琶湖渇水の折、水面下に沈んでいた坂本城の石垣が出てきたのを見に行ったものです。
 壮麗な城郭であったとのことですが、今は石垣湖底に沈んでいるのみ。普段は目にすることもできません・・・。

金石城 (長崎県・対馬)

金石城2金石城1 金石城は、対馬・宋氏の居城でした。厳原城の副城という位置にもあるそうです。このあたり、一国一城令との兼ね合いがどうなってるのかよく判りませんが。
 宋氏は朝鮮との対応を任されていたという関係上、実質の取れ高はともかく10万石格の格式を与えられていましたから、城郭を持つのは当然だったのです。
 ここは元・国分寺のあった地だったそうです。

三田城 (兵庫県)

三田城2三田城1 三田藩は、あの志摩水軍の九鬼氏が封じられた地です。水軍を異様に恐れた徳川幕府によって、水軍大名はことごとく山間に移されました。九鬼家中は、水軍の昔を忘れぬようと、掘割を利用して、水練に励んだといいますが・・・。
 三田城そのものは、ほとんど何も残っていません。しかし、この石碑も、今では綺麗に整備されているそうです。
 九鬼家および九鬼家中は、むしろ明治後に様々な足跡を残します。阪神間モダニズム創生には旧三田藩士が大きくかかわっています。また、あの白洲次郎の祖父も三田藩士だったそうです。

大和郡山城(奈良県)

大和郡山城(2)大和郡山城(1) 奈良市の南部に位置する大和郡山。ここに巨城を建てたのは秀吉の弟にして豊臣政権No.2の秀長です。秀長は、大和大納言と称されました。金銭にがめつい、との評はあったものの、秀長は百戦不敗の名将でもあります。秀吉が日本一の出世人であれば、秀長は日本第二位の出世人でしょう。
 江戸時代は柳澤氏の居城でした。金魚の養殖で有名です。

田原城(愛知県)

田原城(2)田原城(1) 田原城っていったって、ピンとくる方は少ないでしょう。渥美半島1万石・三宅氏の小さな城です。二の丸櫓が再建されています。しかし、三宅氏というより、渡辺華山の方が有名でしょうか。維新の先覚者にして、尚歯会のメンバーとして、幕府保守派から弾圧を受けた華山は、この田原藩の家老でした。
 田原藩は渥美半島とて、暖かそうなイメージがありますが、海風の吹きぬけるところだそうです。華山が苦労したのもむべなるかな・・・でしょう。

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